窮鼠はチーズの夢を見るの記録

窮鼠はチーズの夢を見る、を観てきた。

10年前に原作を読んだ際も人を心から好きになるってこういうことかと揺さぶられ涙したが、歳を重ねた今の自分だからこそ共感できる部分が無数にあり、心から観て良かったなと感じた。

まだ観に行っていない方、どうかここで回れ右して今すぐ劇場で観て欲しい。

以下はあらすじ、印象的なシーンや台詞、わたしの拙い感想。思いっきりネタバレしてます。

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あらすじ

大伴恭一(大倉忠義)は7年ぶりに大学時代の後輩の今ヶ瀬渉(成田凌)と再会する。大伴の妻・知佳子が夫の浮気調査を依頼した相手が偶然にも今ヶ瀬だった。

今ヶ瀬は学生時代からずっと大伴が好きだった。キスしてくれたら知佳子には浮気の事実はないと報告する、と大伴を脅し関係が始まる。

妻と離婚し独り身になった大伴は、今ヶ瀬の好意を知りながら家に住まわせるようになる。

大伴は久々に再会した大学時代の元カノ・夏生や、職場の可愛い部下・たまきから「愛される」道を一旦は選ぶも、今ヶ瀬をどうしようもなく「愛する」ようになってしまう。

 

印象的なシーン

受け取り方は百人百様だと思うが、自分なりの解釈。

  • 夏生から自分か今ヶ瀬かどちらか選べ、と迫られるシーン。大伴は夏生から呼び出しを受けたにも関わらず、店に着くと今ヶ瀬の隣に座り、今ヶ瀬と同じビールを注文した。心の底では今ヶ瀬を選んでいるが、セクシャリティの狭間に揺れ動き、その場では夏生を選んでしまう
  • 店にひとり残された今ヶ瀬が、大伴が飲み残したビールを口にする。選んでもらえなかった寂しさ、未練が伝わってくる
  • 夏生との再会前後で、大伴のベッドにある枕が1つから2つに増えている。大伴と今ヶ瀬の生活が確立されたことを示唆
  • 今ヶ瀬の耳掻きして、には応じないが、耳掻きしてあげるには顔を綻ばせて「いいの?」と返す大伴。また、ふたりでテレビを観ながら今ヶ瀬がポテトチップスを食べるシーンでは、欲しい?とも聞かずポテトチップスを大伴の口に運び、当たり前のようにそれを食べる大伴。日常の何気ないシーンで、大伴の愛されたい主義が現れている
  • 誕生日に生まれ年のワインを大伴からプレゼントされ、飲んだら無くなっちゃうから飲まないと言う今ヶ瀬に対し、「来年もあげるから」とこれからもずっと一緒にいることをなんの気なしに話す大伴。大伴の中で自分の存在が当たり前になっていることを知った今ヶ瀬の潤んだ表情が素敵
  • 夏生と食事に行く前の釣り堀のシーンでは、大伴は黒、今ヶ瀬は赤のダウンジャケットを着ている。夏生の件が片付き、今ヶ瀬の誕生日祝いで北京ダックを食べに出掛けた際には、ふたりは相手のダウンジャケットを着ており、関係がより親密になっていることが伝わる
  • 今ヶ瀬と大伴が関係を終わらせドライブに出かけるシーンで、次はこんな人を選びなとお互いに言い合う。これは心の底からそう思ってる訳でなく、今ヶ瀬は女にはなれないし、大伴は今ヶ瀬を愛してあげられなかったという、相手に対する懺悔に取れる
  • たまきを選んだはずの大伴が、ひとりゲイバーに行き、号泣するシーン。構ってくれる誰かが欲しいでも、男が恋愛対象になったんでもなく、今ヶ瀬だから忘れられないことに気づく

 

印象的な台詞

見た目が綺麗で、人間が出来てて、自分にいい思いをさせてくれるような、そんな完璧な人をみんな探してると思ってるんですか?

理路整然と素敵なところや人より秀でてるところを羅列できた人を選んでいたら、それはきっと打算的にこの人となら大丈夫と自分に言い聞かせているんだろうな。と、最近思い当たる節があったので、今ヶ瀬のこの一言はかなり刺さった。

人を好きになるって、その人がもつ不完全な部分も含めて、パズルのピースのように自分の中にガッチリはまってしまうということで。

大伴のように流されてばかりで自分から積極的な選択をしたことがない人間を、何度も傷つきボロボロになりながらも深く愛してしまう今ヶ瀬を象徴する一言だと思った。

恋愛でじたばたもがくより大切なことが人生にはいくらでもあるだろ。お互いもうそういう年だろ

のらりくらりと人から愛され流されるままに生きていた大伴が、最終的に全てを投げ打って今ヶ瀬を選ぶラストと相反する台詞。

割り切った関係になろうよ・と今ヶ瀬に言い聞かせているようで、実は自分自身が変容してしまうことに対してブレーキを掛けていたんだとわかる。

心底惚れるって、すべてにおいてその人だけが例外になっちゃう、ってことなんですね

終盤、砂浜で今ヶ瀬が大伴に言った台詞。

ずっと叶わないと思いながらも大伴に恋焦がれてきた今ヶ瀬と、セクシャリティを超えて一番大切な存在にやっと気づけた大伴。どちらにとってもお互いが例外、唯一無二の存在。

愛されるよりも、愛したい人間になってしまった大伴。今ヶ瀬は何度だって大伴のもとに帰ってきてしまうから、ふたりはいつかまた一緒になるだろう。そして、今度こそ今ヶ瀬が自身の存在の尊さに気づいて、大伴を心から信頼できるようになったら。きっとふたりはずっと一緒にいられるんだろうな。

原作と敢えて違うラストにしたのは、大伴の人間性の大きな変化にスポットライト当てるためだと感じた。

 

最後に

恋愛でうまくいかなくなる時、大抵は相手に何某かの変化を期待して、それが叶わないことに落胆してしまうことが発端だと思う。

歳を重ねていくごとに人は意固地になるし、変化を恐れる。だからこそ、相手がどれくらい自分を好きなのか、愛情を測るために相手に変化を求める。

でも、そんな相手に求めてばかりの「愛される恋愛」よりも、自分自身が変容することを受け入れる「愛する恋愛」の方が強い結びつきになるのだと、この作品を通じて改めて感じた。